「ひとりっ子」

「ひとりっ子」☆☆☆☆
作者:グレッグ・イーガン
編・訳:山岸真
出版社:早川書房(ハヤカワ文庫SF)
発行:2006年12月
収録作品:行動原理 真心 ルミナス 決断者 ふたりの距離 オラクル ひとりっ子

「祈りの海」「しあわせの理由」に続く、グレッグ・イーガンの日本オリジナル短編集第三弾です。このひとの持ち味は、「人間の拠って立つ根拠って何だ?」というテーマでしょう…などと、これを読むまでは思ってましたが、今回の「ひとりっ子」では、そこにはとどまらない作品が入ってました。すごい作家です。

「行動原理」(1990年発表)☆☆☆★★
途中までのあらすじ:妻を銀行強盗に殺された男。周到に復讐を企てる彼が用意したのは、死を無価値なものと脳に感じさせるインプラントだった。
感想:死を無価値なものにすることで得た結果が、最終的に何をもたらすのか。ワンアイデア、30ページ足らずの短編だが、いかにもイーガンらしい嫌な話(褒め言葉です)。

「真心」(1991年発表)☆☆☆★★
途中までのあらすじ:一生今のままの愛を持ち続けたい…そんなカップルが選んだのは、今の気持ちを固定するインプラントだった。
感想:「行動原理」とほぼ同じインプラントというガジェットを使ったワンアイデアストーリー。人の感情は長くは続かない。そうはいってもここまで身も蓋もなく言われると吹きだしてしまう。最後の一行が効いてます。

「ルミナス」(1995年発表)☆☆☆☆
途中までのあらすじ:数学専攻の学生が思いついたアイデア…それは現在あらゆる物理的事象を規定する数学と不整合な、<不備>という数論が存在するというものだった。
感想:「百数十億年前に”計算的に隔たった”領域をもうひとつの数論が支配するようになっていた」(P100)すごいねえ。お話の展開自体はむしろシンプルだけど、<不備>から立ち現われる別世界の存在というのは、私には逆立ちしたって出てこない発想。作品集中の白眉というべき佳品。凄い。

「決断者」(1995年発表)☆☆☆★★★
途中までのあらすじ:おれが見知らぬ男から奪った眼帯は、すべての思考を視覚化できる〈百鬼夜行〉というソフトだった。
感想:「すべての思考を視覚化する」という発想が私にはありませんでした。よくそんなこと考えるよ。その上で、その発想から展開して、「思考がすべて把握できるなら、それを根本的に選び取るのは何なのか?」を突き詰めてゆく。あらすじは「ルミナス」同様にシンプルだが、描かれる世界は(少なくとも私には)想像の限界まで飛翔している。

「ふたりの距離」(1992年発表)☆☆☆★★★
途中までのあらすじ:お互いがお互いをすべて認識し、共鳴しあいたいカップル。テクノロジーを用いて体を交換し、性別を交換し、それでも飽き足らない彼らが試みたのは、「同一」になることだった。
感想:結末に大爆笑。いや、あまりにも皮肉なので笑うほかないといったほうがいいか。2編目の「真心」と根は同じ。だが、ここでのイーガンはもっと容赦ない。イーガン短編でおなじみの「人間の拠って立つ根拠って何だ?」テーマの中では、私は一番好きかも。ついでですが、ここで用いられるエスカレーションの手法は、オースン・スコット・カードを思い出しました。

「オラクル」(2000年発表)☆☆☆☆★
あらすじ:これはあらすじを書かないので実際に読んでみて下さい。
感想:イーガン版ハード時間SF。特に300P〜301Pでは力業炸裂。無限に広がる時間の分岐を扱わなくてはいけなくなった現在の時間SFが今後どう語られるべきか、納得させられてしまいます。あくまでも世界の一部を切り取った形の短編だけど、いろんな想像が広がる作品。実は、小説パートも良い出来。ということで、私の中ではこの作品が短編集「ひとりっ子」の中では一番かな、と思っています。

ここからは長い蛇足。
おそらく、この短編集「ひとりっ子」を読む読者の多くが、この「オラクル」で挫折すると私は思っています。何故なら、イーガンはこの作品で二人の歴史的人物を扱っているけど、正直いって普通の人にはマイナーだから。
かくいう私は一度読み通して「はあ?なんかよくわからん」と思い(とりあえず二人は誰かだけは分かったので)、二人の経歴を調べてもう一度読みました。
そんな私の結論。「実名と人となりがわかってれば面白いやん!」
解説ではネタバレになるからとその二人の名前を表記してませんが、多分わかったほうが読みやすい。以下に色を変えて表記するので、知りたくない人は見ないで下さい。チューリングC.S.ルイスです。とくに前者はプロフィールを詳しく分かっていないと訳が分からないところがあります。私にはhttp://www.japanpen.or.jp/e-bungeikan/study/nishigakitoru.htmlのページが分かりやすかったので、もしもここを読んでいる「オラクル」に挫折した人は目を通すと良いかもしれません。
それにしてもイーガンは、(ジーン・ウルフと同じで)SF読者のレベルを高く見すぎているのかもしれない。なにしろ、歴史上のことはみんな知ってるよね、という書きぶりなんだもの。

「ひとりっ子」(2002年発表)☆☆☆☆
途中までのあらすじ:量子論的効果を遮断する装置・クァスプを開発した男は、見た目は人間と変わらないアンドロイドにクァスプを乗せ、自らの子として育てる。
感想:「多世界宇宙論が正しいとしたら、常に決断を下しているはずの私の意志は意味がないのか?」イーガンさん、そんなこと心配する人、あなたくらいですよ。と思ってしまいました。そういう強迫観念を”アンドロイドをわが子として育てる”というありがちな話と結びつけたところにイーガンの凄みを感じます。「決断者」の多世界解釈版、といってもいいのかもしれない。

というわけで、「オラクル」「ひとりっ子」に新生イーガンを垣間見た気がしました。まだまだ、先が楽しみな作家です。